神の預言者ジョセフ・スミス

親愛なるオンライン宣教師へ、

この間、聖書だけを使ってジョセフ・スミスが神の預言者であり、神の権能を持っていたという証拠を見せろと言われました。答えることはできましたが、神の権能、神権の鍵やメルキゼデク神権とアロン神権のことを説明するのは難しく、すでに答えを用意しているひとのほうがより上手に、より簡潔に話しができると思います。

わたしはどうも答えを複雑にしてしまう傾向があります。どうしたら、聖書からの引用と証拠を使いつつメルキゼデク神権とアロン神権、そして預言者の召しについてより簡単に説明することができるでしょうか?

親愛なる”複雑化の達人”さん、

わたしたちが信じていることを聖書だけをつかって証明するのはとても簡単なはずです。(宗教的なことを証明するのはどれも同じくらい簡単です)しかしながら、ジョセフ・スミスが預言者だったことを聖霊の助けなくして証明するのは不可能です。わたしたちができるのは、ジョセフ・スミスの経験がそれ以前の預言者の経験と一致するかどうかを見ることだけです。

まずはあなたの質問に出てきた大きなものから見てみましょう。ジョセフは、14歳のときに神に預言者になるよう召されたと話しています。また、天使が彼を訪れ2つの神権を彼に与えたとも話しています。

 

神は預言者を召すのか?

まず、神は預言者を召すのでしょうか?その通りです。どんな理由であろうと、神は地上の彼の子供たちに預言者を通して語られ、それは今までも常に同じでした。

「古くから聖なる預言者たちの口によってお語りになったように」(ルカによる福音書1章70節)

そして、その預言者が誰なのかというのも重要なことです。出エジプト記4章で、神はモーセを地上での神の口となるように召しますが、モーセは責任の大きさに恐れをいだきます。彼は口が達者ではなかったからです。少しの言い合いのあと、神はアロンがモーセのために話をすることを許しましたが、それでも主はアロンに直接話すのではなく、モーセを通して語られるという形を変えはしませんでした。モーセこそ神が召した人物だったので、神が話をするのはモーセでなければならなかったのです。

でも、神がジョセフ・スミスのような子供を預言者にするなんておかしいのではないでしょうか?そんなことはありません。実際、サミュエル記上3章1節にはこう書いてあります。「少年サムエルはエリの前で主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。」

これと同じ章で、主はサミュエルに初めて話しかけられます。興味深いことに、サミュエルとジョセフ・スミスの境遇は似ているように感じられます。サミュエルも召されたときは子供で、示現が示されない時代に生きていたのです。

 

ふたつの神権は聖書に記されているか?

そうしたら、もちろん、人々は百歩譲ってジョセフ・スミスが神に召されたことは可能だったと認めるでしょう。(なんだって可能です。)でも、彼が教えた常軌を逸した事柄についてはどうでしょう?モルモンは、権能や神権のレベルについてはとても厳格ですが、それらはジョセフ・スミスのみから出たものなのでしょうか?実は、神権について、さらに神権の違った形についてさえも、聖書を通して見つけることができるのです。

ずっと昔の旧約聖書のころ、ヨシュアとイスラエル人が約束の地に移ったとき、それぞれの民族は自分たちの勝ち得た土地を持っていました。しかし、レビ人たちは、約束の地ではなく彼らの受け継ぎのなかに神の権能が現れるように、すでに神により祭司に召されていました。民数記18章23-24節とヨシュア記18章7節を見てみてください。

そのころ、神から祭司になるよう召されたのはレビ人だけでした。(わたしたちは彼らからレビの神権を受け、現在それはアロン神権と呼ばれています。) しかし、パウロがもう一つの神権について教えます。レビの神権よりも位が高く、メルキゼデクによってもたらされた神権です。ヘブル人への手紙7章のはじめで、パウロは、アブラハムがレビ人でもないメルキゼデクに什分の一を納め、彼がより高い宗教的な権能を持っていることに言及したことについて驚いています。

ヘブル人への手紙5章4-6節では、パウロはキリストがレビ人の家系からではなく、メルキゼデクの家系から神によって大祭司にあげられたことを示しています。(使徒行伝110章4節とヘブル人への手紙7章14-16節参照)

パウロは、もしレビの神権がそんなに力のあるものだったなら、なぜイエス・キリストが違う神権をもつ必要があったのか、と問題提起をしています。そしてこのように結論づけています。キリストはより位の高い神権を用いたより位の高い法をもたらしたのだ、と。

 

つまり短くいうと?

ジョセフ・スミスは神によって預言者に召され、預言者の権能を行使するために、什分の一など特定の福音の原則に責任を負うレビの神権(現在アロン神権として知られている)と、キリストが教えられたより位の高い法を担うより位の高い神権であるメルキゼデク神権を受けました。聖書を使って「証明」することの難しさは、その複雑さにあります。聖書の物語をよく知る人はあまりいません。多くの人は、聖書の有名な聖句を知っているだけです。教義はすべて書かれていますが、あなたが説明しなければならないのは歴史や、裏話で、そのせいでより複雑になってしまうのです。この投稿はあなたに向けて書かれたもので、あなたならわたしの言っていることがわかると思います。聖書にあまり精通していない人を教えるときの最善の方法は、アロンがラモーナイ王の父を教えた時の模範にならうことです。

「そこでアロンは、王が自分の言葉を信じようとするのを見て、聖文を王に読んできかせながら、アダムの造られたこと、すなわち神がご自分の形に人を創造されたことからはじめて、神がアダムに戒めを与えられたことや、人が背きのために堕落したことを話して聞かせた。(アルマ書22章12節

最初から初めて、彼らと一緒に聖典を読んでください。お話がその意味をひとりでに教えてくれるでしょう。

 
この記事はマイケル・ディパウロによって書かれ、lds.netに投稿されたものです。翻訳者はキャンベル愛美です。

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