マンデラ大統領、人種差別の排除に努力をし、ノーベル平和賞を受賞する

ノーベル平和賞の受賞者であるマンデラ大統領

前南アフリカの大統領であるネルソン・マンデラの死後、モルモン教は国家と世界の指導者を失った事を悼む声明を発表しました。

マンデラ大統領の人生

ノーベル平和賞の受賞者であるネルソン・マンデラは、2013年12月5日の木曜日に95歳でなくなりました。彼は南アフリカのトランスケイのムヴェゾで、1918年の7月18日に生まれました。ガドラ・H・ムファカニスワというテンブ部族の皇族に対する顧問を父とし,ネセケニー・F・マンデラを母として育ちました。生まれた時の名前は,ロリーラーラ・ダリブフンガ・マンデラでした。後になって,学校の先生からネルソンという名前を付けてもらいました。

生涯を通じて彼は,「世界で最も有名な政治的な受刑者」であり「南アメリカの偉大な黒人の希望」でした。 彼の死後CNNのレポートで,マンデラ大統領は「自由の闘士,囚人,道徳の羅針盤,南アフリカの人種的な抑圧に対する格闘の象徴」として述べられました。

彼は南アフリカ共和国の最初の黒人の大統領で,1994年の4月29日に当選し,1999年の6月まで務めました。1942年に南アフリカ大学から法学の学位を受けました。1952年には,彼は南アフリカにおける最初の法律事務所を友だちのオリヴァー・タンボと開設しました。その年の7月には共産主義を制圧する法に反したという件で告発されました。1964年6月12日には,彼はストライキの4件で,終身刑を受けました。アパルトヘイトに対する件で,27年間刑務所で過ごした後釈放されました。そして,1993年に彼の「南アフリカの人種の分離,不平等,制度化された人種差別の伝統を排除する」努力に対してノーベル平和賞を授与されました。

マンデラ大統領が亡くなった事に関し,南アフリカの大統領のジャコブ・ズーマ氏は,「わたしたちの国家はその最も偉大な息子を亡くしました。わたしたちの民は父親を失いました。マンデラ大統領を偉大にしたものは,まさに彼は彼自身を「人」として扱ったことです。わたしたちは彼に模範を見いだしました」と語りました。 [2]  そして,バラック・オバマ大統領はこのように述べています。「この地上で一緒に過ごしたいと思う,最も影響力があり,勇敢で,非常に善良な人の一人を失いました。もはやわたしたちと共にいませんが,彼は歴史の中に生き続ける人物です。」 

訃報のあった日,モルモン教の大管長会は次のような声明を出しました。

「全世界の人たちとともに,尊敬されているマンデラ大統領の死を悼みます。彼の勇気,親切,並外れた道徳面での指導を行なった事は,全人類にとっての模範でした。彼の家族と南アフリカの人々が彼の卓越した生涯を思い出しているこの時に,わたしたちの愛と追悼の意を示したいと思います。」 

 

モルモン教の人種と神権についての見解

モルモン教の神権者による祝福の儀式

全てのふさわしいモルモン教の男性は神権を受けられる

マンデラ大統領の死後間もなくして,モルモン教のお悔やみの言葉が公表され,その公式のサイトで「人種と神権」というトピックで新しいページが加えられました。このトピックについては教会内外で多くの議論がなされてきました。この新しいページは,LDS.orgのサイトに加えられた数項目の「福音のトピック」の一つです。このページの前には,「最初の示現の記録」とか「モルモンはクリスチャンか?」というトピックが掲載されています。「これらの更新されたページの目的は学問的、歴史的な観点から,さらには外部の研究者の視点を加えて,両親がインターネットを通じて疑問を持つようになった子供たちに説明するのを助ける資料を提供する事です。」 

教会の歴史家であるスティーブン・E・スノー長老は次のように述べています。

「この時代に教会員がわたしたちの歴史のある部分についてよく理解できるように、一連の疑問に対する解答を提供する必要が本当にある事が明らかになってきたと思います。教会の指導者は会員が大切なトピックについて研究する助けをしたいと望んでいて,入手可能な最良の情報を提供したいと望んでいます。」

「人種と神権」などのような「福音のトピック」のページは黒人がある時期,神権を受けられなかったこと(やがて1978年に啓示を通じてその禁止が取り除かれた)の理由として考えられました。批評家の理論や仮説は,ついに明らかにされた歴史的な事実に基づいて否定する事ができます。このページはまた,忠実で,前向きな考え方をしているモルモン教の会員が疑問に思うかも知れない,「教会は何を隠しているのか?」という質問に終止符を打つ助けになるでしょう。スノー長老は,教会は何も隠していないと確約して,これらのページは疑問や心配がある人たちをよりよく教育する事を意図して書かれていると述べています。

スノー長老がさらに語っているのは,

「わたしたちは歴史か,教会の歴史か,学者,教会の指導者から,この件に注意深く従事している他の人たちとともに協力を求めました。そして,出来るだけ事実を一番正しい方法で得られるようにしました。。。そしてわたしたちの会員が事実を教会の歴史という文脈の中で,またアメリカの歴史という文脈の中で,またその当時の世界に起こっていた事という文脈の中で捉えられるようにしました。」 [5]

LDS.orgの新たな門出

ポール・B・パイパー長老は,モルモン教の神権部門の執行役員です。彼は次のように述べています。

「初めてわたしたちはLDS.orgの資料からはなれた情報源に対してもリンクを作っています。これは新しい試みです。これまで,誰にもわたしたちのサイト以外に対するリンクを認めた事はありませんでした。もしこれらのページの下を見ると,リンクが,例えばBYU聖典引用索引とかモルモニズム百科事典に対して与えられています。このサイトにとって新しい日の訪れです。」

外部の出典を使う事は,「人種と神権」などのトピックに関して入手可能な最も正確な歴史的な情報を得られるように努力している事の一部で,かくして歴史家からの関心も高まっています。

モルモン教の歴史:人種と神権

人種と神権のトピックのページに書いてあるのは:

末日聖徒イエス・キリスト教会は,神学と実践においてすべての人類を受け入れています。末日聖徒の聖文や教えは,神がすべての子供たちである全人類を愛され,全ての人が救いにあずかることができるようにしてくださったと明言しています。神は多様な人種や民族を創造され,彼らすべてを等しく尊重しておられます。・・・・教会の奉仕の業にも融合を促進する傾向があります。黒人のビショップは,ほとんどが白人のワードを管理することができ; ヒスパニック系の女性が様々な人種の会員の家庭を訪問するために,アジア系の女性と同僚になることもあります。異なる人種や民族の教会員が地元のワード/支部で教師,青少年の指導者やそのほか様々な割り当てを受けて奉仕することにより,互いの家庭に仕えます。そのように実践することにより,末日聖徒イエス・キリスト教会は完全に融和した教会となっています。」

そのページには,「教会は1830年に設立されましたが,その時期は合衆国には非常に大きな人種的な分裂がありました」と述べられています。  モルモン教の最初の預言者であったジョセフ・スミスは、奴隷制に公に反対しました。1844年に合衆国の大統領に出馬した時には,1850年までに奴隷制を廃止するという反奴隷制の公約をしました。

モルモン教で神権に聖任された最初の黒人

エライジャ・エイベル

数名の黒人はジョセフ・スミスが教会の預言者であった時代に神権の職に聖任されていました。そのうちの一人がエライジャ・エイベルでした。エイベルは1832年に、エゼキエル・ロバーツによりバプテスマを受けて会員となりました。彼はモルモン教で神権に聖任された最初の黒人の男性となりました。彼はジョセフ・スミス自身の手によって,1836年の3月に聖任されました。ひとりの黒人の女性の証によると(ユーニス・ケニー:「私の末日の御業についての証」),聖任の日付は1836年3月3日となっています。歴史によると,エイベルは後に,ゼベディー・コルティンの手によって1836年の12月に七十人に聖任されています。 

モルモン教で最初に神権に聖任されたエライジャのお墓

エライジャ・エイベルのお墓

ジョセフ・スミスが1844年の6月27日にイリノイ州のカーセージの牢獄で殉教した後,ブリガム・ヤングが教会の預言者であり,大管長になりました。1852年に,彼は「アフリカ系黒人男性は,それ以降神権に聖任されないということを公式発表しました。」 同じ年,彼は説教の中で,将来の黒人の会員には,「すべての特権やそれ以上のものも」他の会員に享受されているものが与えられると述べました。

ブリガム・ヤング大管長、黒人と神権について語る

ブリガム・ヤング大管長

この記事はキース・L・ブラウンによって書かれ、aboutmormons.orgに投稿されました。翻訳者は有泉 芳彦です。

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