lucy-hannah-150x150  父サミュエル・デニスと母メアリー・バートン・ホワイトの二人とも「ヨーク州」に生まれました。当時ニューヨークはそう呼ばれていました。その後両親とともにイリノイ州に引っ越し,ノックス郡で1842823日にわたしは最初の子供として生まれました。2歳になったとき,両親はあまり有名ではない宗教であって末日聖徒イエス・キリスト教会に入りました。多くの人々が命をかけて戦ったアメリカ合衆国の憲法により定められた特権である「自分の良心に従って神を崇拝する」という望みのため,ユグノー派,クエイカー派,清教徒の先祖たちのように多くの迫害を受けました。

わたしのいちばん最初の記憶は,父が抱き上げてカーセージの監獄で殉教した愛する預言者のジョセフ・スミスとその兄のハイラムの顔を見せてくれたときです。

武装した暴徒がわたしたちの家を焼き払い,財産を没収し,わたしたちが想像できるあらゆる侮辱の限りを尽くしました。わたしたちは郡から郡へ,州から州へ追いやられ,ついには文明の中から厳寒の冬に追いやられました。

祖母のバートンは小柄なイギリス女性でしたが,不慣れな苦難のため,やがて病気になって亡くなりました。母は道端の浅い墓のそばに立ち,涙をふいて,次のようにつぶやいていました。「神様,母はもうこの寒さ,飢え,野ざらしでこれ以上苦しむ必要がないことを感謝します。」

西部への脱出は1846年に始まりましたが,父は他の家族の出発の助けをしていたため,1850年の春まで残っていました。平原を渡るわたしたちの一団はとても大きくはありませんでした。わたしたちは旅を楽しみました。わたしはミズーリ川からグレートソルトレイクまでほとんど歩いていました。わたしたちは皆,雄牛の重荷を軽くできる者は歩きました。わたしはいつも野営する時間が嬉しく思いました。雄牛たちはほどなくどのようにして荷馬車を前の馬車との小さい隙間を開けて円陣に置くかわかるようになりました。

samuel-dennis-white-150x150円陣はこのようにして作られ,食事を作るための火が起こされ,荷馬車の近くにベッドを作りました。インディアンが襲ってくるときは,夜,家畜を円陣の中に集め,男たちがキャンプのそばで寝ずの番をしました。

夕食が終わると,皆はキャンプファイアーの周りに集まり,あるいは月のきれいな晩は明かりがいらないので,だれかが歌い始めると,皆が歌いだしたり,あるいはだれかがおもしろい話をしたりしました。その日重い足取りで何マイルも歩いた疲れも忘れました。まもなくバイオリンまたはアコーディオン,フルートまたは横笛,あるいはそれらが合わさった元気な調べに合わせ,カドリールやリールを踊りました。苦難,疲れ,愛する人との別れは忘れて,これらの家のない追放者たちはダンスに加わりました。

わたしはできるだけ起きて,自分が大人の若い女性になってパーティーの華になって,美しいスカートをひらひらさせながらダンスをしている様子を想像したものです。知らない間にわたしは疲れた頭を母のひざにうずめていたものです。

踊っていた人々が疲れたり,10時になると,わたしは起こされ,ベッドに行く前に閉会の賛美歌を歌い,大きな円になってひざまずき祈りました。祈りが長いと,わたしはまた眠ってしまい,そのようなときは父がわたしをベッドまで運んでくれました。

mary-hannah-150x150かわいそうな祖父のジョン・グリッグス・ホワイトは体が弱かったので,わたしたちは旅の間,食べる物はいちばん良い物を食べてもらうように気を付けました。父のサミュエル・デニス・ホワイトは目的地に着く12週間前に山熱に罹り,母は自分の仕事のほかに祖父や父の世話をすることになり,大変でした。わたしにとって3か月の旅は大変ではありませんでした。

旅の間中,食糧はいつも豊かではありませんでした。牝牛がいましたが,一日中歩かせていたのでミルクもあまりとれませんでした。わたしたちは831日に最後の食事を朝ごはんとして食べ,午後も半ばを過ぎた頃,母の親戚の家に着きました。彼らは1年前にバレーに着いていました。その日はわたしの子供時代の記憶の中で最も幸せだった日です。その日は丁度母の32歳の誕生日で,楽しい時となりました。わたしは母の涙が理解できませんでした。わたしは母に尋ねました。「お母さん,会いたいと言っていた家族がここにいるのにどうして泣いているの?」母はわたしの手を優しく握りしめ,涙の中で微笑みながら答えました。「ルーシー・ハンナ,人はわたしのように幸せなとき,泣かずにはいられないのよ。」

その時,わたしは初めて涙が悲しみと喜びを両方表すということを知りました。

ルーシー・ハンナ・ホワイト・フレイク,『最後のフロンティアへ,自伝』

この投稿はデリサが書きました。彼女はモルモンの歴史について14本の投稿をしています。

わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。わたしは66回も引っ越しをしていますが、この美しい地球に飽きることがありません。わたしは人々や言語,歴史や人類学,特に世界の宗教的文化を愛しています。わたしの生涯の情熱は宗教的象徴について,特に古代と近代の神殿について研究し,探求することです。夫のアンソニーとわたしはブルドッグのウェリントンと,冒険,旅行,映画,バイク旅行,友人や家族とともに過ごす時間が大好きです。

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