joseph-smith-vision-mormonわたしは預言者ジョセフ・スミスの人生について心の中で思い巡らしました。彼が臆病であったということを示す出来事を思い出そうとしていました。しかしわたしはそれをまったくみつけることができませんでした。一方,彼の勇気を示す出来事はほとんどきりがありません。ジョセフ・スミスは地上に神の王国を回復する責任を厳粛に受け入れました。これは大きな責務でしたが,神がそれを計画されたのです。ジョセフは王国を建設し、最終的には地上に神の王国を満たすというさだめを果たすことに完全に献身しました。

彼は教会の発展に全面的に関与しました。彼は目的に燃えました。致命的ではないまでも,人には圧倒的だと思うような王国への攻撃をジョセフ・スミスは止めることのできない大義への一時的な妨げとして考えました。ジョセフ・スミスは成功への可能性はしばしば克服できないように見えましたが,受け身の状況に置かれることを拒み,自ら行動する者でした。

彼は業を前進させようという強い思いの中で,残酷な仕打ちや心の痛む敗北も経験しました。しかしこのようなただなかにあって,彼の心は常に積極的で末の日における神の王国を推し進めるための新しい展開を計画していました:それはカートランドの神殿,シオン,美しい町ノーブー,西部の集合の地,福千年でした。

ジョセフは教会の成長が続くためには,一つの方向,つまり前進しかないことを理解していました。死が近づいても,ノーブーを西部の大きな町にしようとして,アメリカ合衆国の大統領への運動にエネルギーを注ぎ,西部に聖徒が移り,力強い民となれるような場所を探すように探検隊を組織しました。

末日聖徒イエス・キリスト教会のためにジョセフが経験し,達成したことは預言者ジョセフのたぐいまれな性格を明らかにしました。それは勇気,驚くべき勇気でした。啓示を受け,独創性に富み,活力があり,楽観主義で,熱い心を持ち,抑えつけることのできない彼に衝撃を受けずにはいられません。イエス・キリストの福音を回復する預言者の召しを受け,ジョセフ・スミスは勇気を必要とする指導力の外套を着たのです。彼は自分のしないことを人にするようには言いませんでした。教会の成功はジョセフ・スミスの勇気にかかっていました。ジョセフのように激しい憎悪や断固とした反対に直面した人はほとんどいないでしょう。彼の勇気は偉大でありましたが,ほとんど知られていませんでした。しかしもし彼の勇気がもっと小さいものであったならば,彼は失敗したことでしょう。

ジョセフは波乱の生涯を生きました。彼はいろいろな経験をしました。良いこと,悪いことが文字通りあらゆる方向から彼に転がり込んできました。彼は並外れた勇気で真正面から人生に取り組み,経験し,文字通りすべてを吸収したのです。時には,後戻りしなければなりませんでしたが,それはいっときのことで,彼はまた新たな経験を渇望するかのように再び前進しました。なかなかないことですが,彼は人生を享受していました。彼のすべての感覚―肉体的,精神的,霊的―はよく調和して,失ったものはほとんどありませんでした。

ジョセフ・スミスは人生を存分に経験するために備える属性を伸ばしました。彼はすばらしい霊性,強靭な肉体,明晰な頭脳,心地よいユーモアのセンスを育みました。利己的な思いはなく,自らを霊的に,知的に,肉体的に,情緒的に捧げました。彼の人柄はあらゆる面で,全く正直でした。ジョセフ・スミスは正直に,オープンに愛を表しました。また,自分の弱さを正直にオープンにさらしました。正直にオープンに自らの自責の念を表現しました。

主の御旨に反して,ジョセフ・スミスはマーティン・ハリスにモルモン書の最初の116ページの翻訳した原稿を持ち出すことを許しました。マーティンはそれを失くし,主はジョセフを厳しく責めました。ジョセフは自分の過ちや,主の叱責を隠そうとはしませんでした。実際,その記述を読みたい場合,それは教義と聖約の3章と10章にあります。世の中に既に公開されているのです。これはジョセフについてすばらしいことを表しています。彼は自分の弱さを隠そうとはしませんでした。彼がそのように正直であったのは,人々にいかに生き,いかに愛し,いかに感じ,いかに反応するかを見せたいと望んでいたからです。自分のイメージをよくしたり,エゴを通すのではなく,模範により人々を助けることに,より心をくだいていたのです。

預言者の人生に深く根差していた思いは,イエスが天の御父に仕えることにのみ心を向けていたのと同じように,救い主イエス・キリストに仕えることでした。このジョセフの自分をさしおいて自らの仕事を真面目に行うという態度のおかげで,寛大で自由な立居振舞ができました。自然体でいることができたのです。時には気楽に,時には真剣に,時には悲しみ,時には霊的に高められ,というように。彼の人格にはいろいろな特質があり,人々を祝福するために,常に繊細で,気を遣い,援助する機会を求めていました。預言者ジョセフの模範により,いとこのジョージ・A・スミスはシオンの陣営の行進でのジョセフについて次のように述べています。

預言者は旅の間中,疲れを共にした。陣営の世話をし,管理する責任に加えて,ほとんどの時間を歩き通した。暑い季節に毎日40から60キロ歩いたために,彼の足は痛み,まめができ,血が滲んだ。 しかし旅の間中,陣営のほとんどの男性たちは足の痛みやまめのできた足,長い行軍,乏しい食糧,おいしくないパンやまずいとうもろこし,かび臭いバター,濃いはちみつ,蛆虫のわいたベーコンやチーズなどに不平をもらしたが,ジョセフは決して不平をもらすことはなかった。犬でさえも,ジョセフにつぶやいてからでないと人に吼えることはできなかった。水の汚い所で野営しなければならない時は,反乱が起きそうだった。それでも我々はシオンの陣営だったが,知らず知らずのうちに我々の多くは祈ることをせず,思慮が浅く,軽率で,不注意で,おろかで,極悪であった。ジョセフは我々に忍耐し,子供に教えるように導かねばならなかった。けれども陣営の中には,決して不満をもらさず,常に指導者が望むことを進んで行う備えができた者も多くいた。1

これはジョセフ・スミスが示したリーダーシップの一例にすぎません。彼は若かったにもかかわらず,すべての年代の聖徒の賢明な,愛にあふれた,知恵のある父親のようでした。彼が体現した立派な模範は昔も今も彼の謙遜さのゆえなのです。ささいなことを考えるひまはなく,彼の思いは救いの原則でいっぱいでした。その思いが大きかったので,自己憐憫,嫉妬,卑しさ,高慢などの悪い思いは,真理で置き換えられたのです。彼は真理を知っており,真理は恐れや疑いや悲観主義から自由を得させました。真理は彼が勇気と信仰の人生を生きることを可能にしたのです。「もしわたしがノバスコシアの最も深い穴に沈み,ロッキー山脈が自分の上に乗っても,わたしは耐え,信仰を使い,勇気を保ち,てっぺんに出てくるでしょう。2」ジョン・スミスへの手紙で預言者は次のように書いています。

「…わたしがこの数行を書いたのは,もし地獄が一度に襲ってきても,わたしたちはここで意気消沈しないということを決めたということをあなたに伝えるためです。わたしたちは最も良いものを待ち望み,最も悪いものに備える決心ができています。」3

そのような引用はジョセフ・スミスが生涯,神に仕えるという決心を表しています。神は彼に強さと勇気を与えました。彼はどのような人にも真正面からぶつかっていきました。これは彼に力を与えました。ジョセフ・スミスには見せかけはまったくありませんでした。彼はありのままの彼で,神がもたらしたことに対して主に感謝していました。主に誉れを帰し,主の御名をほめたたえました。

レオン・ハーツホーンによる編集,原文:『アメリカの預言者,ジョセフ・スミス』レオン・ハーツホーン著,デゼレトブック1970年

脚注: エバンス,ジョン・ヘンティー著『アメリカの預言者,ジョセフ・スミス』(ソルトレークシティー:デゼレトブック 1966年)pp117-18 2.『アメリカの預言者,ジョセフ・スミス』p9 3.HC6:485-86

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