決して信仰を捨てず、確固として揺らがなかったジョセフ・スミス

 

神の王国に入っては出て行く人の数に思いをはせ、ジョセフ・スミスはよく次のように言いました。「兄弟たち、わたしはまだ背教していません。そしてそのような気持ちもありません。」彼は回復の預言者として確固として揺らぐことがないように、またこの世に生まれてきた目的を果たす事ができるように、夜も昼も主に祈りました。

ジョセフ・スミス・ジュニアに関して今でも驚かされることは、そう多くの人にはない非常にたぐいまれな人格の持ち主だったということです。わたしは2年に渡って、週6日間それも1日に12時間から15時間を預言者ジョセフ・スミスの人生、彼の生きた時代、そして彼の教えの研究に費やしたことがあります。出生から死に至るまでの彼の人生について勉強しました。モルモン教として知られる末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史について、またその頃の歴史について、政治、史学、社会経済、芸術や文学、宗教、社会と、全てを研究しました。

預言者の人生で起こった出来事を入念に区分し、彼を取り巻く歴史に目を向けました。このような研究を通して、彼を動かしたのは何だったのか、またなぜそうしたのかということを、より理解することができました。また、広範な研究によって彼が神の預言者であるという強い、確固たる証を得ました。彼は決して諦めませんでした。決して立ち止まりませんでした。そして、決して引き下がりませんでした。イエス・キリストと天の御父、そして彼自身に明かされた全てのことに関する証に確固として力強く立ち続けました。たとえどんなに残酷な形で裏切られても、何人たりともジョセフの信仰を打ち砕くことはできませんでした。

 

迫害

ジョセフ・スミスは神の預言者で、主イエス・キリストから召されました。あの早春の朝、彼は静かな森に入って純粋な真心からの祈りを捧げました。そしてその日以降、タールを塗られ羽をつけられても、見に覚えのない罪や法定での審問をでっち上げられ不法に投獄されても、聖徒たちへの法を無視した理不尽な行いや迫害を受けても、どんなことをされても、ジョセフは自身が見たことと神から受けた召しを否定しませんでしたし、否定できませんでした。

ある夜、彼の双子の息子と娘がはしかにかかったとき、彼は乳児の息子を抱いてなだめようとしていました。突然ドアが開き、卑劣で冷酷な暴徒たちが預言者を一番に捕まえようと中に押し入ってきました。暴徒たちは彼の手から赤ん坊をもぎ取ってエマに投げつけ、家から牧草地までジョセフを引きずり出しました。そこで煮えたぎったタールをジョセフにかけ、骨にまで達する大やけどを負わせたのです。酒に酔って笑いながら、さらに男たちはジョセフに鳥の羽をかけました。また、暴徒たちが無理やり毒を飲ませようとしたため、彼は歯を折られてしまいした。ジョセフは大柄で強く、運動神経の良い男性でしたが、そんな彼でも暴徒に抵抗する事はできませんでした。しかし男たちは彼に毒を飲ませる事ができなかったため、ジョセフは死を免れました。彼らは激しい苦痛にもがき苦しみ気絶しかけているジョセフを解放し、よろよろと自分たちの家に帰り床につきました。この世での、そして永遠における自身たちの行いの結果についてなど考えもしませんでした。

数時間後、ジョセフを捜索していた人々が彼を発見し家まで運びました。彼らは夜通しジョセフの身体からタールを取り除きましたが、タールをはぐ度に彼の肌も一緒にはがれてしまいました。非常に痛々しく、心身を消耗させる夜を生き延びたジョセフは、翌朝には起き上がり、福音を宣べ伝えるために町へ出かけて行きました。その日は日曜日で、彼には分かち合うべきメッセージがあったのです。悔い改めと強さ、希望と永遠の愛についてのメッセージでした。ジョセフは主から力を受けて強められ、人々にそのメッセージを伝えることができました。

 

ジョセフの揺るぎない信仰

自身はひどい拷問を受け、妻と子供たちはこれ以上ないぐらいの恐怖を味わった夜のあと、ジョセフが『もうたくさんだ。』と言って信仰を捨てるだろう、と思う人もいるでしょう。しかしジョセフは信仰を捨てませんでした。イエス・キリストについて、また天の御父について宣べ伝え続けたのです。その日の集会には羞恥心と悲しみで突き刺され、心を和らげた暴徒が何人かいました。彼らは、昨晩あれほどに卑劣で冷酷な扱いを受けた男が、心から謙遜に赦しと赦しがもたらす癒しの力について証する姿を目の当たりにしたのです。病気で弱っていたにもかかわらず真夜中の寒い風に当てられて、冷酷な暴徒たちの残虐な行いのせいで亡くなった乳児の息子を埋葬しながら、ジョセフは『もうこんなことは続けられない。』と言って信仰を捨てるだろう、と思う人もいるでしょう。しかし、彼は信仰を捨てませんでした。

何度も何度も裁判に引きずり出され、リッチモンドの監獄とリバティーの監獄での長期にわたる不法な収監に耐えた後、神に嘆願して、『神と会い、話をしたことを否定します。』と信仰を捨てるだろう、と思う人がいるでしょう。しかし彼は否定せず決して道をそれませんでした。

彼がついに泣きくずれ神に叫び求めたのは、モルモン教の聖徒たちが強姦され、殺され、家から追い出され、服以外ほとんど何も持たずに凍りつくミシシッピ川を渡らなければならなかった時です。残酷な暴徒たちがハウンズミルでモルモン教の会員たちを、「シラミは卵から生まれる。」と冷たく言い放ち、幼い子供たちまでも虐殺した時です。法を無視した者が地を支配し、憐れみの手が差し伸べられず正義が黙した時、ジョセフはついに神に叫び求めたのです。

「おお、神よ、あなたはどこにおられるのですか。あなたの隠れ場を覆う大幕はどこにあるのですか。あなたの御手はいつまでとどめられ、あなたの目、まことにあなたの清い目はいつまで永遠の天からあなたの民とあなたの僕たちへの不当な扱いを眺め、またあなたの耳はいつまで彼らの叫び声で貫かれるのですか。まことに、おお、主よ、彼らがどれほど長くこれらの不当な扱いと不法な虐げを受ければ、あなたの心は彼らに和らぎ、あなたの胸は彼らに和らぎ、彼らに対する哀れみの情に動かされるのですか。おお、全能の主なる神よ、天と地と海とその中にある万物の造り主よ、悪魔とシェオルなる暗い闇の領域を支配し従えておられる御方よ、あなたの御手を伸べてください。あなたの目が貫きますように。あなたの大幕が取り去られますように。あなたの耳が傾けられますように。あなたの心が和らぎ、あなたの胸がわたしたちに対する哀れみの情に動かされますように。」(教義と聖約 121章1−4節)

このような堪え難い経験をしても、その後亡くなるまでただの一度もジョセフは最初の示現を否定しませんでした。地上に福音を回復するようイエス・キリストと天のお父様から召された事を否定しませんでした。どんな犠牲を払うことになろうと、預言者の召しから逃げようとはしませんでした。

 

確固として揺らぐことなく歩む

今では、ジョセフ・スミスの名は良くも悪くも世に知られています。ジョセフは今でも信仰に固く立ち、世界に向かって叫んでいます。イエス・キリストは生きておられます。天の御父は生きておられます。彼らはわたしたちを愛しておられ、キリストの福音とすべての約束、希望、そして報いは今日地上に完全に回復されました。神のもとに戻ってきてください。戻ってきて平安を得てください。あなたが何者なのか思い出してください。

最後に、ジョセフ・スミス・ジュニア本人の言葉でこの投稿を終わりにします。1835年11月6日の預言者の日記には次のように記録してあります。

「今朝、東の方から来た男性を紹介された。わたしの名前を聞くと彼は、わたしの事を何者でもないただの男だと言った。彼の反応から、彼は主が御自身の御心を明らかにされる相手ともあろう人物は、ただの男よりも特別な何かを持った者だろうと思っていたことがうかがえる。彼は使徒ヤコブの口から出た言葉を忘れているようだ。『エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、3年6ヶ月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実を実らせた。』(ヤコブの手紙 5章17、18節)人々は、人がその創造主と関わりを持つ事など信じられないという見方をしている。まさしく、それがこの世代の闇と無知なのである。」(教会歴史2:302 ジョセフ・スミスの日記より 1835年11月6日オハイオ州カートランド)

「この立場において、一体わたしがいつ誤った事を教えたというのだろうか。まどわされたというのか。出発し、わたしの姿が見えなくなる前にイスラエルにて勝利を得たい。わたしは完璧であるなどと一度も言った事はない。しかし、わたしが教えてきた啓示に誤りはない。それでわたしは取るに足りないものとして捨てられてしまわなければならないのだろうか。」(教会歴史6:366 1844年5月12日のイリノイ州ノーブーでのジョセフ・スミスの講話より トーマス・バロックからの報告)

「わたしは間違いを犯すが、警察から疑われているような間違いは犯さない。わたしが犯す間違いは他の人々と同様、人間の弱さによるものだ。欠点のない人などいない。イエスでさえ、もし今この場に彼がいたら君の目に欠点のない人間だと写るだろうか。彼の敵は、彼に対してあらゆる悪を語った。彼の中に邪悪を探したのだ。」(教会歴史5:140 1842年8月31日のイリノイ州ノーブーでのジョセフ・スミスの講話より エライザ・R・スノーからの報告)

ジョセフ・スミスの1842年10月29日の日記には次のように書いてある。「今朝ニューヨークから到着したたくさんの兄弟姉妹たちが集まっている(イリノイ州ノーブーの)店に行った。わたしは彼らに、わたしは人間です、完璧だとは思わないでください、と伝えた。もし彼らがわたしに完璧を期待するならば、わたしも彼らに完璧を期待するべきだ。しかし彼らがわたしの弱点に耐え、兄弟たちの弱点に耐えるなら、わたしも彼らの弱点を耐えよう。」(教会歴史5:181 段落に編集が加えられています ジョセフ・スミスの日記より 1842年10月29日、イリノイ州ノーブーにて)

 

 

 

この記事はキャンデスによって書かれ、ldsblogs.comに掲載されたものです。翻訳者はキャンベル葵です。

 

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