わたしたちは、最近教会歴史博物館へ行き、ハイラム・スミスのサングラスからエライザ・R・スノーの懐中時計といった興味深い工芸品(英語)をはじめて見ました。新たに、二つの重要な歴史的な物が追加されていました。それはジョセフとハイラム・スミスのデスマスクです。読み進んでいくことにより、デスマスクとは何であり、モルモン教会がどのようにこの特別な記念物をディスプレイするまでにいたったかを知ることができます。
1.デスマスクは古代エジプト時代までさかのぼる。
ジョセフとハイラムが亡くなった頃は、写真とダゲレオタイプ(銀メッキをした銅版上の画像)は、まだ出はじめたばかりでした。そのため、亡くなった愛する人の姿と思い出を保存する簡単な方法が、デスマスクでした。デスマスクは、今日ではもう日常的に行われなくなりましたが、それは古代エジプト時代から使われていました。デスマスクは、通常亡くなられた人を覚えておくためと、彼らを象徴する芸術作品に加えるために作られていました。ジョセフとハイラムの石膏と細長い布切れの層でできた鋳造物は、ジョージ・キャノン(使徒ジョージ・Q・キャノンの父)により作られました。この鋳造物は、早くも1850年代から使われ始め、預言者と彼の兄弟の多くの絵や胸像の基盤となりました。
2.ハイラムのマスクから、今もなお彼の致命傷が見える。
モルモン教会員は、ジョセフとハイラムの殉教と、ハイラムは彼の左の鼻に銃弾が貫通したことにより死亡したという事実をよく知っています。マスクは、彼らの死の直後に作られたので、死後のゆがみがあまり見られません。また一方でマスクの小さなゆがみから、それがハイラムの顔の銃弾の傷であると区別できます。
3.ジョセフとハイラム・スミスのデスマスクは、数組作られたと考えられる。
history.lds.orgによれば、 ジョセフとハイラムの鋳造物は、彼らが亡くなったときに数組作られたと予想されます。しかしながら存在がわかっている原物は、教会歴史博物館で保管されている物のみとなっています。ジョセフ・スミスのかつてのボディーガードであった、フィロ・T・ディブルがジョージ・キャノンの死後そのマスクを入手していたので、しばしばディブル・マスクと呼ばれます。ディブル兄弟は、福音を分かち合い、シオンを築く方法として、パノラマ式背景と教会歴史の出来事のアート・ギャラリーを作る構想を抱いていました。それは移動式博物館になり、彼が預言者ジョセフ・スミスの証を分かち合うときのために、デスマスクを展示しました。
4.1900年代デスマスクは、ジョセフとハイラムの亡骸を特定する重要な一部だった。
ジョセフとハイラム・スミスの亡骸は、彼らが埋葬された後も数回移動されました。1928年に発見された後、彼らはエマ・スミスの墓の横に埋葬されました。1994年に、遺体が本人たちのものであるかどうか論争が起こり、カーティス・G・ウィーバーは、より厳密に調べ、どの亡骸がどちらの教会歴史上の愛される兄弟のものであるか確かめるために、デスマスクを使用しました。彼の調査についてもっとお知りになりたい方は、mormonhistoricsites.org(英語)をお読みください。
5.ソルトレーク神殿の天使モロナイ像を作った男性は、最初にデスマスクの影響を受け、彫刻を作るよう霊感を受けた。
彫刻家サイラス・ダリンは12歳のときに、ジョセフとハイラムのデスマスクを、フィロ・ディブルの移動式博物館で目にしました。このときに初めて、彫刻を作り始めるよう霊感を受けました。後年彼は、ソルトレーク市ダウンタウンに今もなおあるブリガム・ヤング記念碑はもちろん、現在ソルトレーク神殿の頭頂部を飾る天使モロナイ像も作る芸術家となりました。
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迫害する暴漢に襲われるも、ジョセフ・スミスのお顔も、ハイラム・スミスのお顔も平安に包まれています。
まさに、悪人に死に追いやられても善人は天に登ってゆく事を教えてくれていると思います。
彼らのように一人でも多くの人が、勇気を持って善なる道を選んでもらいたいです。
菅野姉妹、コメントありがとうございます。そうですね、姉妹のおっしゃる通り、ジョセフとハイラム・スミスのお顔は穏やかですね。これも主の戒めを守り、従って生きてきた証ですね。