モルモン教の預言者ジョセフ・スミス

末日聖徒イエス・キリスト教会、別称モルモン教の会員はジョセフ・スミスが預言者であると信じています。つまり、ジョセフがモーセやイザヤと同じような役割を担う預言者である事を信じているのです。ジョセフ・スミスは人々を教え導くために、またイエス・キリストや主の犠牲を証しするために、神によって召されました。

 

預言者について語る

この事柄について話し合うときに、時として私たちは安易な発言をする傾向にあります。「ジョセフ・スミスが預言者と信じるかどうかは、信仰の問題さ。」と。それから話題を変えるのです。神について語ることは、まるでユニコーンの品種について語ることだと示唆しているようなものです。神も、ユニコーンも、想像の産物であるがゆえに、学術的な議論になり得ないということです。酷な表現をするならば、バカげているのです。

私はこのような意見に賛成ではありません。神についてこのように話し合う事に利点もありますが、それは親しい友人とくつろいだ雰囲気でいるときぐらいではないでしょうか。

第二次世界大戦が始まったばかりの頃に、教会員であり、後に十二使徒になったヒュー・B・ブラウン長老は、あるとき英国の友人と神学上の話し合いをしました。彼らはこれから始まる戦争の情勢について話し合いました。彼の友人は議員であり、弁護士でもあったので、ブラウン長老に彼自身の信仰について短くまとめるように要請しました。

ペテロの助言(第一ペテロの手紙3:15)に従い、「また、あなたがたのうちにある望みについて求める人には、いつでも弁明できるようにしなさい。」 ブラウン長老はすぐさまその場で友人の要望に答えました。

その話し合いは、(ブラウン長老によれば法的手続きに似ている)知的な格闘 だったようです。まずその議員の信条について話し合いました。それから快楽主義パラドックスについて話し合いました。次に、神の方法について話し合い、それが預言者の話に発展しました。その後、2人は預言者のプロフィールなるものを作成しました。以下に彼らの考えを紹介します。:

1.預言者は大胆さをもって、神が話しかけたと主張する。

2.そのように主張する者は、威厳あるメッセージを伝える厳かな人であろう。死人が話すことや、透視ではなく、真実についての知的な申し立てである。

3.神の預言者ならば、恐れることなく、世論に流されることなく、自分のメッセージを伝える。

4.  神の代弁者ならば、流されることはない。たとえその教えが一般的な教えと相反するものだとしても。預言者は見聞きしたことを証言するのであって、論争によって戒めることはほとんどない。教えの先に彼自身が来ることはない。

5. 彼は主の名によって語り、「主がそのように言われた」と、まるでモーセ、ヨシュアらのように告げる。

6.  主の名によって、未来の出来事を予測するだろう。イザヤやエゼキエルの預言のように成就するであろう。

7.  同じ時代に生きている人々のためだけでなく、ダニエル、エレミヤらのように、未来の人々のためにもメッセージを伝える。

8.迫害に耐えられるほどの、そして必要ならば, ペテロ、ヤコブ、パウロのように, 自分に課せられた大義を果たすために命を捧げるほどの勇気と信仰を持っている。

9.恐れずに悪を非難する。預言者は同じ時代に生きる人から拒絶されて、迫害される。しかし迫害者の後の世代や子孫は彼を称え、記念碑を建てるだろう。

10.彼は超人的な事柄をなすことができる。-それは神の助けによらねば成しえない業である。彼のメッセージや、成し遂げた業により、預言は成就されることが分かる。「このように、あなたがたはその実によって彼らを見分けるのである(マタイ7:20)

11.彼の教えは、聖典と協調するものでなければならない。彼の言葉と書き記すことは聖文となる。「なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである」(ペテロの第二の手紙1章21節

 

ジョセフ・スミスも預言者

これは極めて優れたリストです。他にも書き足すことがあるかも知れません。しかし、大切なことはジョセフ・スミスはこの内の全ての基準に当てはまるということです。彼は聖書に出てくる預言者と同等の預言者です。わたしが彼に惹かれる理由は、まさにそこにあります。

ただ単純に引き付けられるだけではありません。預言者としての彼の使命に対する、燃えるような確固とした信仰があります。ジョセフ・スミス生誕200年に際して、第16代大管長トーマス・S・モンソン大管長は次のように述べました。

「ジョセフ・ スミスが神の預言者であり,この末日にイ エス・キリストの福音を回復するために選 ばれたことを知っています。生誕200年を 祝うに当たり,ジョセフの生涯から学べま すように。ジョセフ・スミスが模範によっ て見事に教えた神聖な原則を生活に取り入れ,イエス・キリストの福音をさらに完 全に実践できますように。神は生きてお られ,イエス・キリストは神の御子であら れ,ジョセフ・スミスは預言者です。(トーマス・S ・モンソン、預言者ジョセフ・スミスー模範による教師 リアホナ2005年11月号p69-70

ここに自分の証を付け加えたいと思います。わたしはジョセフ・スミスが預言者であることを知っています。彼が証言した事柄は、実際に起こった事実です。わたしは彼の言葉や教え、そして日記を何度も読むことにより、確信を持つことができました。それだけでなく、学んだり読んだことが、本当であると、神の声が心にささやきかけてくれました。もちろん信仰の領域を超えることはないのですが、それでも信仰を働かせ、ジョセフ・スミスが預言者であると知ることができます。それこそが、わたしを突き動かし、ブログを書き続ける理由なのです。

 

 

この記事はケンドール・ハンターによって書かれ、LDSBlogに投稿されたものを、前田美佳子が翻訳しました。

 

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