スザンナ・ウォッシュバーン・バウルズの母親タマー・ウォッシュバーン(1805−1886)の伝記からの抜粋。タマーは末日聖徒イエス・キリスト教会、しばしばはからずも「モルモン教会」とよばれる、に1838年に入り、1886年に亡くなるまで忠実な会員でした。
タマー・ウォッシュバーンはジェシーとスザンナ・トムプキンス・ウォッシュバーンの娘です。1805年にニューヨークのウエストチェスター郡、マウント・プレザントで生まれました。19歳でアブラハム・ウォッシュバーン(その祖父は彼女の叔父にあたる)と1824年3月16日にニューヨークのマウント・プレザントで結婚しました。結婚してしばらくして、彼らはシング・シングに引っ越し、そこでアブラハムは靴の製造と革なめしの仕事を始めました。
モルモンの宣教師
パーレー・P・プラットがニューヨークに福音を携えて来たとき、アブラハム・ウォッシュバーンはすぐに改宗しました。そのメッセージはとても単純で美しかったので彼はだれでもすぐに改宗するだろうと思いました。アブラハムはプラット兄弟を連れて来てそのすばらしいメッセージを妻にも説明しました。プラット兄弟は、主とその御子が自ら少年のジョセフ・スミスを訪れられたこと、後に天からの使いが送られて、神権が、アロン神権もメルキゼデク神権も回復され、主はその少年の預言者に引き続き啓示を与えられ、イエス・キリストの福音を完全な形で明らかにされたことを告げました。彼はまた、天使モロナイがこの大陸の古代の民の歴史をもたらし、それは金版に記録されており、預言者に渡され、彼は神の力によって翻訳し、その記録は翻訳されてモルモン書と呼ばれていると伝えました。
この事はこの愛らしい女性にとってはたくさん過ぎました。彼女は確固としたメソジスト派の信者で、生まれ育ったクエーカー教の多くの考えもまだ彼女の考えには残っていました。彼女はその時聞いたことに怒り狂いました。神が新しい啓示を人に与えるなどということは不可能です。それは古代の預言者と使徒たちが死んだときからすべてやんでしまいました。この人は確かに偽りの教義を教えているペテン師です。彼女は正義感に溢れた怒りに燃え、プラット兄弟に向かい、なんの容赦もなく彼女の怒りをぶちまけました。彼女の夫は彼女をなだめようと思いましたが、効果がありませんでした。しかし、彼はそのメッセージが真実であることを知りましたので、ほどなくしてバプテスマを受けました。彼は優しく、あらゆる機会を捉えて彼の愛する妻を改宗しようと試みました。しかし、しばらくの間彼の努力は無駄でした。
ある晩、彼は夕方の集会に出席していた時に、アブラハムは家に急いで戻るようにメッセージを受けました。彼の妻は彼がモルモンの集会に居る時にひどい神経の問題に陥っていました。彼が去る時に、プラット兄弟は言いました。「元気を出しなさい、ウォッシュバーン兄弟、もうすぐ奥さんは教会の会員になりますよ。」それから2−3週間して彼女はプラット兄弟にバプテスマを施してくれるように尋ねました。
彼女はプラット兄弟とイエス・キリストの福音を愛するようになりました。彼女の家はそれ以来ずっとモルモン宣教師の宿るところになりました。
時が経って、パーレイとオルソン・プラットはニューヨークで伝道する間、ウォッシュバーン家を拠点にすることになりました。あるとき、オルソン・プラットが奥さんを連れてきました。彼女はその当時の習慣で、レースの帽子を身につけていましたが、それにはリボンと小さな花が脇についていました。タマーはまだクエーカーの習慣から十分脱皮していませんでしたから、そのような飾りは「行き過ぎた」習慣として受け入れず、プラット姉妹にそこにとどまっている間はそれを取り除けるように依頼し、プラット姉妹はウォッシュバーン姉妹の意に添うことにしました。それから何年もして、タマーはその話をする時笑って、どうして彼女がそんなに狭い了見であったのかと語っていますが、彼女自身晩年にはそのようなレースの帽子を被って、それがきれいに飾られているのを楽しんでいたからです。
アブラハムは仕事に成功していて、タマーに月75ドルの小遣いを渡していました。彼女はそれを貯めていて、その一部を銀行に貯金していました。あるとき、オルソン・プラットは英国に伝道する予定でしたが、彼がニューヨークに着いた時、旅費が全然ありませんでした。タマーは貯金から彼の英国への旅費を出すことができました。
預言者ジョセフ・スミスからの祝福と約束
ノーブーの教会員たちに加わった後、ウォッシュバーン兄弟はノーブー軍団の一員になりました。彼らは預言者ジョセフ・スミスの友だちでした。預言者ジョセフ・スミスはタマーと彼女の親族を何度も訪問しました。あるとき、スミス家の人たちとほかの人たちが夕べの集いに彼らの家に集まったとき、預言者は立ち上がると、「ウォッシュバーン姉妹、主からの特別な祝福があなたにあります。主は言われています。あなたは日の栄えの冠をあたかも今身につけているように確かに授けられると。」そこに集まった姉妹たちは預言者に言いました。「そう聞くと、うらやましいわ。」それから預言者は言いました。「この祝福はほかのだれよりも勝ってお母さんのウォッシュバーンのためで、それは彼女が、気前よく施すからです。彼女はいつも与えて決して後悔しません。」彼女の日の栄えの王国での救いは、彼女が惜しみなく与えることによりました。
モルモンの一夫多妻制と彼女が自分を克服したこと
彼らは1848年にリチャード隊といっしょにウンター・クウォーターズからソールトレイク市まで来ました。彼らが峡谷に到着して間もなく、アブラハムはフロラ・クロリンダ・グリーソン・ジョンソンと結婚しました。
タマーは社交的な人で、通常はとても楽天的です。それでも彼女は非常に思い詰めた感情を持つ可能性もありました。フロラの娘であるロレーナは語っています。「タマーは私に一夫多妻制がいかに難しいかを語りました。私の母を愛していましたが、長い間彼女は私の母に親切ではありませんでした。彼女はしばしば力を求めて祈り、神様はついに彼女が自分自身を克服することができるようにしてくださいました。それ以来、一夫多妻制は試練ではなくなりました。私の母は彼女のこの世の最良の友になりました。」
そのようなことが若干の試練でした。彼女がほかの人たちとともに経験しなければならなかった試練はほんの少しだけでした。というのは彼らが、神が生きておられ、魂と体をもっておられ、それは人間と同じで、人は神が創造なさったことを信じていたからです。また、彼らは神が御自分の考えや意志を明らかになさることも信じていたからです。そして、もし彼らがそれを信じないで、否定していたら、問題は彼らの上に何倍にもなって積み重なったでしょう。
この記事はdelisaによって書かれました。彼女は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、66回引っ越しをしましたが、この美しい地球にまだ飽きていません!彼女は人々、言語、歴史や文化人類学、世界の宗教文化が好きです。彼女の生涯にわたる熱情は宗教的な象徴、とりわけ古代と現代における神でとの関連について研究することです。彼女のご主人のアンソニーと彼女はブルドックのウエリングトンと、冒険、旅行、映画、オートバイ、友だちや家族と過ごす時間が好きです。
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