メアリー・マッセルマン・ホイットマー(1778827日―18561月)は教会が設立して間もなくの1830418日に末日聖徒イエス・キリスト教会(不注意にモルモン教会と呼ばれます)のバプテスマを受けました。しかし教会の教義の真実性と預言者ジョセフ・スミスの神の業に対する彼女の改宗は1829年に起こりました。

Courage-Be-Witness-AD1-300x300メアリーは息子のデビッド・ホイットマーの紹介によりジョセフ・スミスと知り合いました。ジョセフはモルモン書を翻訳している最中にひどい迫害を経験し,ホイットマー家はジョセフとその妻エマと筆記者のオリバー・カウドリを住まわせました。メアリーにとって自分の大家族のほかに間借り人たちの世話をしなければならないのは大きな負担となりました。

この期間にジョセフ,オリバーとメアリーの息子たちは金版を見せてくれるように話し合いました。メアリーの息子たちのうち5人はモルモン書の正式な証人となりました。彼らは実際の金版を見ました。

以下の記事はメアリーの孫であるジョン・C・ホイットマーが1878年に書いたものですが,これは翻訳の業が始まっているときにある日メアリーが経験したことを息子や孫たちに話したものです。

わたしは祖母(メアリー・マッセルマン・ホイットマー)がモルモン書の金版をいつもニーファイ兄弟と祖母が呼ぶ聖なる天使から見せてもらったというのを何度か聞いた。(彼女は明らかに金版を管理していた天使モロナイのことを言っていた)

祖母によれば,夫のピーター・ホイットマー・シニアの家で翻訳が行われていたときのことだった。ジョセフ・スミスとその妻とオリバー・カウドリは以前デビッド・ホイットマーの家に短期間いたが,全員がペンシルベニア州ハーモニーからやってきて,ホイットマーの家に身を寄せ,祖母は自分の大家族の他に新たに世話しなければいけない人々が増え,しばしば家事の大きな負担をかけられ,祖母は非常に重荷であると感じるほどになっていた。

ある夕方,家の中のいつもの仕事を終えて牛小屋に搾乳に行った祖母は,背中にナップザックのような物を背負った見知らぬ男性にあった。最初は彼のことを怖く思ったが,その人が優しい親しげな口調で話しかけてきて,祖母の家で今行われている業の本質について説明し始めると,祖母は口では表せないような喜びと満足を感じた。それからその人はナップザックの紐をほどき,金版を祖母に見せた。それは大きさや外見はモルモン書の証人がその後に説明したものと一致していた。この見知らぬ人は金版のページを何枚もめくって,そこに彫られた文字も祖母に見せた。その後,彼は重荷を負うことをあと少し忍耐し,忠実であるように伝え,そのようにするならば祖母は祝福され,そしてその報いは最後まで忠実であるならば確実であると約束した。その人は突然金版とともに消えて,どこに行ってしまったのかは祖母も分からなかった。

その瞬間から祖母は家事の義務をかなり楽にこなすことができるようになり,家事が大変だからとつぶやきたい気持ちにはならなかった。わたしは祖母が善良で,気高く,誠実な女性であることを知っていたので,金版を見たという祖母の言葉が完全に真実であるということについて全く疑うことはなかった。祖母は死を迎えるその日までモルモン書について堅く信じていた。

この記事はデリサが投稿しました。彼女はモルモンの歴史について15の投稿をしています。

わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。わたしは66回引っ越しをしましたがこの美しい地球での経験には飽きることがありません。わたしは人々や言語,歴史/人類学,特に世界の宗教的文化を愛しています。わたしの生涯をかけて取り組んでいるのは宗教的象徴,特に古代と近代の神殿について学び,探究することです。夫のアンソニーとわたしは愛犬(ブルドッグ)のウェリントン,冒険,旅行,映画,バイク,友人や家族と過ごす時間を愛しています。

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