最近出版された、マーク・L・マッコンキーによる「ジョセフを思い出す-預言者を知っていた人々の個人的な思い出」は、卓越した男、ジョセフ・スミスの思い出や印象を集めた素晴らしい書物です。下記は、ウィリアム・テイラーが預言者と過ごした個人的な話です。

夜遅く預言者は、わたしの兄弟、ジョンのノーブーの家を訪れてこう言った。「あなたのお父さんのところへ一緒に行ってください。」兄弟は言った。「しかしわたしは行けません、ジョセフ兄弟。わたしは病気で伏しています。」預言者は答えた。「わたしが来て、着替えを手伝います。あなたは、出かけるのに何の問題も見出さないでしょう。」

わたしの兄弟、ジョンは起き上がり、服を着替え、共に準備を始めた。わたしたちの家に着いた時には、誰も彼が少しも病気だったとは言えない状態だった。4人は我が家に何泊かし、それから預言者は、何か問題がないかを見るために3人をノーブーに戻した。何日かの内に彼らは戻ってきた。彼らがいない間、預言者とわたしは昼間のほとんどの時間を、ヘンダーソン・ボトムにある我が家の近くの森で散歩をしたり、時にはリスを狩り、その他、楽しむことは何でもして、過ごした。わたしだけが、預言者の余暇の同僚だった。たくさんの人々がそのあたりにいたのに、わたしたちが外出する時には、誰にも会わないというのを、しばしば不思議に感じた。

ジョンが預言者の言葉に対して持っていた信仰は、興味深いものがありました。親しく共に過ごした多くの時間によるものだったかもしませんし、行くことによって祝福がありました。それは、健康になっただけではなく、友情を強め、福音の知識を増し加えたからです。ウィリアムは、このように続けています。

預言者が我が家にどの位留まったかははっきりと覚えていないが、大体2週間ぐらいだったと思う。この短い間に、わたしたちを取り巻く環境により、違う状況だったら一生掛かっても築けないような真に近い付き合いになった。わたしの人生のこの期間についての感情を表現するのは、不可能だ。

全能の神と会話した彼と一緒に居る時に感じたのと同じような喜びや満足を、他の人、男や女と一緒に居て感じたことがない。彼は常に、楽しくて陽気な、最も気さくで愛すべき男だった。時折、森で共に時間を過ごした夜の帰り道、彼は叫んだものだ。「お母さん、ここだよ。デイビッドとジョナサンおいで。」

彼の愛想の良さと個人的な魅力については、あまり語られていない。わたしは、年老いた人も若い人も彼を愛し、無意識に信頼したという証人であった。彼に一度こう言ったことがある。「ジョセフ兄弟、あんなに狼たちがあなたをしつこく追いかけてくるのに怖くないのですか。」

彼は答えた。「わたしは心配していません。主がわたしを守るとおっしゃり、わたしはその言葉を完全に信頼していますから。」わたしはその危険な状況と、彼に起きることは何でもわたしにも起きると知っていた。しかしわたしは、今以上の恐れを感じることはなかった。個人の安全を考えることに勝る何かがあった。わたしが、主に聖別された人物の同僚だった間は、わたしにとっては生か死かは重要ではなかった。

彼は、わたしにしばしばこう言った。「君を決して見捨てないよ、ウィリアム。」そしてわたしは、そうだとわかっていた。

(「預言者ジョセフ・スミス」ウィリアム・テイラー、若い女性ジャーナル17、12号〔1906年12月〕p54748)

joseph-smith-jr-mormon-prophet善人についてのなんという証言でしょう。預言者に会い、時間を過ごした人は皆、周りの人に対する彼の愛と朗らかな態度、優しさを証言しています。ジョセフ・スミスと同じ位キリストの御霊を持つということは、喜びと光を放ち、人々が引き寄せられるということです。人は、自分自身の人生にもそれを切望するからです。ジョセフ・スミスはキリストに真に従う者でした。彼の使命は、多くの、受け入れるすべての人にキリストの光の喜びをもたらすことでした。

ジョセフには、最も敵を恐れることよりも多くの根拠がありました。彼らは、ジョセフ・スミスが突きつけられている脅威を知っている敵対者の憎しみにより容赦なく拍車をかけていました。しかし、ジョセフは主により守られると約束されていました。彼は、主がされた他の約束と同様に、その約束に対して完全な信仰を持っていました。このように主に近くあるということが、すべての恐れを払いのけました。ウィリアムが言ったように、ジョセフの同僚であるには、「個人の安全を考えることに勝る何かがあった」のです。ジョセフが、目的を達するまでは守られると約束されていたからだけではなく、主の戒めに従っていたので、死は重要でないことだったのです。

わたしたちは、ウィリアムがジョセフから発せられていると感じた、ジョセフ・スミスが持っていたのと同じような平安と喜びを得ることができます。もしイエス・キリストの福音に沿って生活するならば、主のわたしたちに対する愛と平安を、この問題の多い世の中で感じることができるのです。

この記事は、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員、ドリス・ホワイトによって書かれました。

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